私にとっての『鳥山明』

漫画家の鳥山明先生がなくなったというニュースは私にとってもとても衝撃的なニュースでした。生きておられるうちから伝説的な存在でしたが、ついに本当の伝説になってしまいました。

私の実家にはたくさんの漫画がありますが、不思議なことに鳥山明先生の漫画はほとんどありません。母の趣味で集めているので、『Dr.スランプ アラレちゃん』も『ドラゴンボール』も母の趣味には合わなかったようなのです。アニメも見ていませんでした。でも私は小学校3年生の頃から鳥山先生の漫画のことを知っていました。

私が小学校3年生の時のクラスには一人だけ障害を持った男の子がいました。先生はどういう障害か私たちに説明しませんでしたが、仲良くするようにとは言いました。先生の目から見てどうだったかはわかりませんが、私たちクラスメイトはそれぞれできる範囲で、先生の言うように彼をクラスの仲間として過ごすためにいろいろ工夫して過ごしていました。彼は授業中教室内を立ち歩いたり床で寝たりしましたし、「とりやまあきら!」とか「ましりと!」と叫ぶことがありました。彼の特技はお手本を見ないで鳥山明先生のキャラクターをサラサラと描き上げることでした。絵心のない私にとっては、何も見ないで描きたいと思ったキャラクターを描き上げられるということが驚きでした。鳥山明先生の作品はその男の子の言葉や描く絵で最初に知ったもので、その子の思い出とともに思い出されるものなのです。

鳥山明先生の訃報を聞いて一番最初に思ったのは、あの時のクラスメイトの男の子がこの訃報にどんな風に触れたのだろうかということです。そして彼が今どんな風に暮らしているのだろうかと思いました。あの子とともに過ごした2年間、あの子にたくさん教えてもらったことが今も自分の中に生きていて、あの子のような子どもに会うたびに思い出されます。

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私が小学校3年生の時の鳥山明先生はまだ20代だったらしいのです。あの輪郭のくっきりした、シンプルでわかりやすいデザインは、認知心理学的に小さい子どもにも障害のある人にも認識されやすいもので、だからこそ、誰にでも受け入れられたのだろうと思います。きれいな曲線が多用されているのは手塚治虫先生のキャラクターと共通する特徴であるとも思います。そういうものをそんな若いころから生み出していた鳥山明先生は間違いなく天才だったと思いますし、まだもうちょっと活躍していてほしかったと思います。

追悼の気持ちを込めて、今日はこの後ドラクエの音楽をずっと聴いていたいと思います。

冥福をお祈りいたします。