子供が並ぶ墓誌と日本の医療の歴史

今年の北海道空知地方のGWは暑すぎず寒すぎず、お出かけにはちょうど良い気候でしたね。

我が家は毎年恒例の、花見を兼ねたお墓参りに行きました。

墓誌って気にしてみたことはありますか?

墓誌とは故人名や没年月日などが書かれた石板のことです。

広い霊園だとたくさんの墓誌を見ることができます。

比較的新しいお墓の墓誌にあるお名前を見ると、亡くなった時の年齢が若くても60代以降ということが多いですが、古いお墓の墓誌を見ると小さな子どもや小学生ぐらいの年齢の故人名が記載されているのをしばしば見かけます。

没年を見ると、昭和一桁から30年代ぐらいの場合が多いようです。中には何人もの子どもが数年の間に亡くなられたことがうかがえる墓誌もあります。

生まれた子どもたちがみんな元気で大きくなるということが、ほぼ当たり前になったのは、日本の歴史全体から見て本当についこの間のことなのです。それまでは子どもたちはしばしば幼いうちに亡くなっていました。

幼児の死亡率年次推移のグラフを出してみます。内閣府の出している資料(「我が国の幼児(1-4歳)死亡率の年次推移」)ですが、1960年が昭和35年ですから、墓誌で見るように、昭和30年ころまでの日本の幼児死亡率は今よりずいぶん高かったことがわかります。

予防接種法の制定が1948年、昭和23年です。ポリオが大流行したのが1960年(昭和35年)で、夕張での集団発生から始まってあっという間に北海道中に広まり、たくさんの患者が出たそうですが、国内未承認だった旧ソ連製の経口生ワクチンを緊急輸入することで収束しました。ちょうどかつての私の上司が生まれたころのお話です。それほど遠い昔のことではありませんね。

抗菌薬については、初めてペニシリンが日本で作られたのが1944年(昭和19年)ですが、この時の値段は現在の金額で一回当たり約50万円!現在のような国民皆保険制度ではないので、すべて自費ですから、家を売って薬を買うような状況だったらしいです。ペニシリンが一般に使えるようになったのは1960年(昭和35年)頃というので、ポリオ流行と同時期のようです。

今では非常にたくさんの抗菌薬が市場に出回っていますが、乱用のため抗菌薬が効かない耐性菌もたくさん生まれているので、必要な時に必要なだけ大事に使おうという流れになってきています。

国民誰もが安心して医療を利用できるようにと作られたのが「国民健康保険法」ですが、これも1958年(昭和33年)に制定されて、1961年から国民皆保険が実現されました。こんな風に見ていくと、1960年というのが一つの節目だったのですね。

墓誌に小さな子どもの名前がたくさんあるのがちょうど昭和30年代までというのは、こうした医療の進歩とたぶん無縁ではないのです。

ワクチン、抗菌薬、医療保険制度。今では当たり前のもののように感じられているでしょうし、薬なども残ればゴミ箱に捨ててしまうようなものですが、これらがなければ以前のように、墓誌にたくさんの小さな子どもたちの名前を刻むことになるのかもしれません。

生まれた子どもたちが、ごく当たり前に大きくなるように見える世の中は本当にありがたいと思います。薬もワクチンも保険制度も、まるでなくてもいいもののように見えてしまうのは、それがきちんと効果を発揮してくれて、空気のようになり切っているからではないかと思うのです。

ワクチンは命を守る大事な手段です。しっかり大事に受けましょう。

抗菌薬は必要な時に必要な分だけ大事に使いましょう。

日本のような医療保険制度や医療費助成は世界中どこにでもあるものではありません。たくさんの人の知恵と努力で作られて維持されてきたものです。問題がないわけではありませんが、これで守られてきた命があって社会があります。これからも維持し続けられるように考えて、大事にしていく必要があります。